2024年10月4日、早稲田Wikipedianサークルはオンラインにて国語辞典編纂者・飯間浩明先生をお招きして勉強会を行った。飯間先生をお招きしての勉強会は、4回目となる。
勉強会は4部構成であった。それぞれのパートでサークルメンバーが発表を行い、飯間先生を交えた質疑応答が行われた。以下、発表担当者ごとに概要を報告する。
1. 辞書に関連するウィキメディア活動 (Eugene Ormandy)
Eugene Ormandy は「辞書に関連するウィキメディア活動」というタイトルで発表を行った。発表は「今までに編集した辞書関連のウィキペディア記事」「ウィクショナリー編集」「ウィキメディアと辞書をめぐるブログ記事」という3部構成であった。
第1部「今までに編集した辞書関連のウィキペディア記事」では、Eugene Ormandyが編集に携わった、辞書に関連するウィキペディア記事5本が紹介された。
それぞれの記事の内容が簡単に紹介されたのち、編集を経て Eugene Ormandy が感じた3点が共有された。
- 日本語版ウィキペディアにおいて、辞書関連の記事はあまり整備されていない。
- 辞書に関する参考図書は色々あるのだなと気づいた。
- 多くの版を重ねた辞書についてのウィキペディア記事をどのように作成すればよいか、予想できない。
第2部「ウィクショナリー編集」では、ウィクショナリーの概要と、Eugene Ormadny のウィクショナリー編集経歴が紹介された。
まず、ウィクショナリーは「国語辞典、漢和辞典、英和辞典、独和辞典、類語辞典などを網羅した多言語の多機能辞典」を目指していることが共有された。その後、日本語版ウィクショナリーにおける「sada」の項目が提示され、ウィクショナリーは「ある文字列が、様々な言語でもつ意味を、様々な言語で知ることができるメディア」であることが示された。
その後、Eugene Ormandy がマレーシアのウィキメディアンとの交流を契機としてウィクショナリーの編集を開始し、マレー語や、いわゆる少数言語の中央ドゥスン語の項目を整備するようになった経緯が紹介された。
第3部「ウィキメディアと辞書をめぐるブログ記事」では、アルク社のウェブメディア「ENGLSIH JOURNAL」や、ウィキメディア財団が運営するコミュニティブログ Diff に Eugene Ormandy が寄稿した下記の記事が紹介された。
- ウィキペディアを編集する辞書マニア【ウィキペディアの歩き方】
- 早稲田Wikipedianサークルと稲門ウィキペディアン会が国立国会図書館を訪問
- ウィキペディアンの読書記録 #16 山本康一「辞書編集と出版」
- Wikimedia Japan-Malaysia Friendship Wiktionary Editathon 2023
最後に、まとめとして下記3点が共有された。
- 辞書とウィキメディア・プロジェクトの関係は多様。
- 辞書文化に興味を抱いているウィキメディアンとして、無理のない範囲で編集を続けたい。
- 辞書愛好家も、辞書文化のアーカイブのためにウィキメディア・プロジェクトに参入してほしい。
その後は質疑応答が実施された。ウィクショナリーの言語版についての質問があったのち、Eugene Ormandy は「日本語のみを使用する人間が、国語辞典としてウィクショナリーを分析しようとすると、その本質を見失う。ウィクショナリーは辞書というより、言語ハブという表現の方が適切だと思われる」「ウィクショナリーでは、素晴らしい語釈を磨き上げることではなく、ある文字列が複数の言語にわたって持つ意味をまとめることが目指される」という私見を述べた。
2. 日本語の辞書論において、ウィキメディアプロジェクトはどのように言及されてきたか? (Lakka26)
Lakka26は、「日本語の辞書論において、ウィキメディアプロジェクトはどのように言及されてきたか?」というテーマで発表を行った。
2001年のウィキペディア誕生以降、2002年のウィクショナリー、2004年のウィキメディア・コモンズなど、ウィキメディア財団は様々なプロジェクトを生み出してきた。そうしたプロジェクトを総括して「ウィキメディアプロジェクト(Wikipedia:ウィキメディア・プロジェクト – Wikipedia)」と呼ぶ。今回私は、日本語の辞書論においてウィキメディアプロジェクトがどのように言及されてきたかについて調査を行い、それらの論考を踏まえた上で自身の考察を述べた。
百科事典関連では、以下の4つの論考を紹介した。
- 歌田明弘「百科事典が『知の体系』から『情報の通過点』に変わるとき」『月刊百科』、1999年12月、5-11頁(※ウィキペディアの類似事典「マルチメディア・インターネット事典」について)
- 佐藤優「『改訂新版 世界大百科事典』について」『月刊百科』、2008年1月、10-13頁
- 井田尚『百科全書:世界を書き換えた百科事典』慶應義塾大学出版会、2019年8月30日、187-191頁
- 鷲見洋一『編集者ディドロ:仲間と歩く「百科全書」の森』平凡社、2022年4月25日、880-886頁
前者2つは1967〜2011年に平凡社から刊行されていた月刊誌『月刊百科』に掲載されていたもので、後者2つは『百科全書』の研究者による論考である。
『月刊百科』では2000年前後にデジタル化、インターネットに関する特集が何度か組まれており、そうした話の流れでウィキペディア(及びウィキペディアの類似事典)について言及されている。また、『百科全書』にまつわる研究の中で言及されることが多いこともわかった。いずれもその特徴や権威の有無について論じており、ウィキメディアプロジェクトが百科事典関係者及び研究者から少なからず注目を集めていたことがうかがえる。
国語辞典関連では、以下の6つについて紹介した。
- 北原保雄、永江朗「オンリーワンの辞書を目指して:辞書の現在、そして未来(特集 辞書の世界)」『ユリイカ』第44巻第3号、青土社、2012年3月1日、48-57頁
- 飯間浩明『辞書を編む』光文社、2013年4月20日、244-250頁
- 辞書鼎談 「紙の辞書はもういらない?」JEPAセミナー、2014年7月16日、公式サイト:https://www.jepa.or.jp/sem/20140716/ 、動画:https://youtu.be/N3yenq8pmmo?si=jmQ3JVeWteFb9OeL (※31分50秒から始まる増井元の発言について触れた)
- 神永曉『さらに悩ましい国語辞典』時事通信社、2017年7月10日、315頁
- 西練馬「電子辞書を再評価する」Lexicography 101、2017年9月21日
- 見坊行徳・稲川智樹文、いのうえさきこ絵『辞典語辞典』誠文堂新光社、2021年1月15日、18頁
国語辞典関係者からの論考は、フリー辞書であるウィクショナリー、フリー百科事典であるウィキペディアの信頼性を心配する声が目立つ。
しかし飯間2013では、ウィクショナリーの問題点を指摘した上で、”おそらく、年月とともに、この辞書も次第に整備されていき、一般の実用に堪えるものになるでしょう”と指摘されている。また西練馬2017では、商業デジタル辞典はアップデートによって以前引けた項目が消えてしまう、語釈が変わってしまう、という問題点を指摘しており、ウィキペディアのような改訂履歴の導入を求めている。
これらの論考を受け、私は「紙媒体への固執が辞書業界の発展を妨げたのではないか?」と述べた。これほど多くの論考があるにも関わらず、辞書業界がその後大きく変化したとは思えないからだ。
これに対して飯間先生は、「自分もそうだが、みんな評論しているだけなのだ」と嘆きの声を漏らした。私が知る限りでも、飯間先生は10年程前から「紙の辞書は死んだ」という声を上げており、2020年には”これからの辞書に必要なのはゲーム性だ”(『AJALT』第43号、公益社団法人国際日本語普及協会、2020年6月30日、26頁)と指摘するなど、辞書業界に最も問題意識を持っている関係者のひとりである。
飯間先生は、「自分が直接アプリを使っている会社に行って、もっとアプリを広げようと直談判するという手もあるが、ソフトウェア会社にもそれほどの意識があるように思えない」と述べられた。私自身、辞書アプリを作っている会社、そして出版社自身もあまり宣伝がうまくできていないと感じている。スマホでも辞書が引ける便利なアプリがあること、そしてそのアプリがどのような機能を持っているか、作り手側がもっと広く伝えていくことが必要なのではないかと思う。
今回の勉強会を経て、「デジタル化の波を止めているのは出版社そのものなのではないか」という不安が強くなった。飯間先生は、「出版社は書店との付き合いがあるため、簡単にデジタルをメインにします、とすることができないのではないか」と指摘された。この話を聞いたとき、私は新聞社と新聞販売店の関係に近いものを感じた。紙の新聞を読む人が少なくなった今、紙の新聞を売ることを仕事にしていた新聞販売店は危機を迎えている。出版社と書店に似たような関係があることは想像に難くない。
辞書のこれからは、私が思っていた以上に複雑な問題が絡んでくるのかもしれない。
3. ウィキメディア・コモンズで閲覧可能な辞書について (Uraniwa)
Uraniwaは「ウィキメディア・コモンズで閲覧可能な辞書」というテーマで発表を行い、2つの辞書の画像群を紹介した。以下に紹介するように、著作権の保護期間が満了した辞書はスキャンされてウィキメディア・コモンズ(以下「コモンズ」)に公開されている場合がある。
まず『大日本国語大辞典』の画像である。辞書は上田萬年・松井簡治による共編で冨山房から出版され、1915年に初版、1939年に修訂版、1952年に修訂新装版がそれぞれ発行されている。紹介した画像は修訂版のものだが、現在は閲覧不能となっているサイトから転載されたものである。コモンズが単にファイルの集積場であるだけでなく、ウェブアーカイブとしての役割も果たしている事例と言える。『大日本国語辞典』は国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧でき、利用者登録は初版を閲覧するには不要だが、修訂版の閲覧には必要である。
次に、17世紀初頭の『日葡辞書』の画像を紹介した。これはポルトガルの宣教師が編んだ日本語辞書で、語釈はポルトガル語で記されている。画像はフランス国立図書館が運営する電子図書館・Gallicaで公開されているもので、それをコモンズへ移植したものである。ところが、Gallicaでこの画像に付与されているメタデータでは『日葡辞書』の著者としてジョアン・ロドリゲスが登録されており、この説は現在では否定されている(森田武『日葡辞書提要』清文堂、1993年)。そしてこのメタデータはコモンズにも引き写されてしまい、651件の誤謬が発生している。ただ、ミスに気づいた者が自分で修正できるのがウィキというシステムの長所でもある。
なお、コモンズでのファイル形式は『修訂大日本国語大辞典』が章ごとのPDF、『日葡辞書』がページごとのJPGとなっている。前者は記事への表示に不都合があるが通読に便利で、後者は通読が困難だが記事に表示させやすい。それぞれのファイルの利用目的に応じた形式が選択されているものと思われる。
発表を受けて飯間先生からは、ウェブ上の任意のデータが消失する可能性を考えると、複製・分散することによって、閲覧不能になるリスクを減らすことが有効なのだろうという意見があった。インターネット上の情報を保存するサービスとしては、米国のインターネットアーカイブが運営するウェイバックマシンなどが知られているが、メディアファイルのアーカイブにはウィキメディア・コモンズという選択肢も存在することを顧みるべきである。
国立国会図書館デジタルコレクションの有用性についても話が及んだ。膨大な資料の検索を可能にするこのサービスは、ウィキペディアンにとっても辞書編纂者にとっても活動に不可欠な存在になっており、今後ますます存在感を増すだろうと考えられる。
4. 語彙データ初歩 (Eugene Ormandy)
最後に、Eugene Ormandy が「語彙データ初歩」というテーマで発表を行った。まずは、ウィキデータの概要が説明されたのち、語彙データの初歩が示された。
ウィキデータについては、エンティティの粒度がウィキペディアよりも細かいこと、エンティティはプロパティとバリューの組み合わせで記述されること、図書館の典拠データを含む外部カタログのつなぎ役となること、ウィキデータを対象としたクエリサービスが存在することが説明された。
語彙データについては、ウィキデータの一種であること、いわゆる「ことがら」について記述する「通常の」ウィキデータに対して語彙データは語彙について記述すること、そして少数言語の保存に役立つ可能性があることなどが説明された。
遅い時間となっていたこともあり質疑応答は省略され、お開きとなった。
まとめ
サークルメンバーにとって、非常に有意義な勉強会であった。また、ありがたいことに、飯間先生からも「勉強になりました。今後ともよろしくお願いします」というお言葉があった。ウィキメディア・プロジェクトと伝統的な辞書との理想的な協力関係を追求するために、今後も勉強会を継続できれば幸いである。
謝辞
快くご協力いただいた飯間先生に対し、早稲田Wikipedianサークルメンバー一同、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
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