最初の「教室でウィキペディアを読む」プログラムは、2024年5月25日にヨルダンで成功裏に終了しました。これに続き、プログラムの開発には連携団体の協力を得て急速に伸びることができました。この取り組みは当初、ウィキメディア・レバント利用者グループの第19回アラビア語版ウィキペディアの日の集会で、Mohammed Hajeerにより提案されたものです。Mervat Salmanが主要サポーターとなり、取り組みをすすめました。プログラムの準備のため、指導者ガイドを私がアラビア語に翻訳し、アラビア語を話す教師の要望に応じ、これまでの版を一般的アラビア語の形式に整えました。ウィキメディア・レバント利用者グループからの助成金と後方支援を受け、プログラムを実施することができました。
最初の挑戦と進展
プログラムが直面した最初の困難は、教師たちに接近し参加を納得してもらうことでした。当初25人の教師が登録してくれましたが、実際に参加したのはヨルダンの3つの州を代表する10人だけでした。参加者は少なかったですが、ウィキメディア・レバント利用者グループのMelissa Guadalupeのように、「最初は小さく始めても、教師たちと身近に接しての学びを継続するのは素晴らしいです」と言ってくれる人もいて、プログラムに弾みがつきました。
第20回アラビア語版ウィキペディアの日の表彰式での参加者の反応は特に感動的でした。教師たちは、ウィキペディアにもっと貢献したいという熱意を表明し、この日を記念した記事を作成しました。特に一人の教師が、アンマンの彼女のAl-Durra Al-Sharifa学校でのこのプログラムの実施に強い興味を示しました。ウィキメディア・レバントの支援を得て、この学校での第2回目のセッションの準備が開始されました。このイベントは2024年11月30日に開催予定で、第1回目から第2回目への急速な発展を示しています。それに加え、私はプログラムを強化し継続的なものにするために、指導者としてMiss Salam alSarayrahの起用を提案しました。
規模の拡大: 政府の支援と今後の目標
第2回セッションの準備中に、私の職場であるヨルダン教育省から重要な支持を受け取りました。それはザルカ市の学校でのプログラムの実施を承認するもので、プログラムの発展を確認した瞬間でした。政府によるこの認識はプログラムの正当性を証明するだけでなく、より幅広い発展を意味しました。
わずか半年足らずの間に、プログラムは小さな案内人から国レベルの可能性を秘めた取り組みに変身しました。これは単に個人の努力によるものだけではなく、貢献的なコミュニティからの信頼と支援の結集によるものです。私たちの目標はこのブログラムを教育省内で制度化し、ヨルダンの他の地域にも広め、教師たちが各学校で指導者を務められるようにすることです。
旅は始まったばかりですが、持続可能な成長と永続的教育効果をもたらす土台は築かれました。
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