「PerplexityはウィキペディアとChatGPTの子どもだ」とアラビンド・スリニバスは語り、ウィキペディアンは「たしかに親子って別の人間ですもんね」と納得する

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稲門ウィキペディアン会の Eugene Ormandy です。本稿では、Perplexity社のCEOアラビンド・スリニバスによる、同社の生成AI「Perplexity」についての言説を紹介し、ウィキメディアンの視点から簡単に感想を述べます。なお、本稿はあくまで2024年12月時点の「速報」として読んでいただけると幸いです。

稲門ウィキペディアン会のロゴ。(Uraniwa, CC0)

概要

アラビンド・スリニバスはしばしば「PerplexityはウィキペディアとChatGPTの子どもだ」という趣旨の発言をしています。これは、Perplexityが出典を示すことに重きをおいた生成AIであることに起因しています。以下、実際のインタビュー記事から引用します。

AI検索結果の正確性を最優先にして、皆さんが誤情報を得ることのないようにしています。ユーザーの質問に対して、常に関連した情報源をピックアップし、その情報源の内容のみを使って回答を書き、自分たちで作り上げた内容は書きません。 

そして、必ずユーザーに情報源も提供しています。検索結果にソース一覧を表示し、AI検索が何を参照したかを正確に知ることができます。そうして間違いを減らし、ハルシネーションを回避するために最善を尽くしています。

(略)

このように情報源を明示するスタイルはウィキペディア的ですが、人間のように会話できる部分はChatGPT的です。パープレキシティとは何なのかを言い表すなら、「ウィキペディアとChatGPTが授かったベイビー」がベストだと思います。

高嶋幸司「ウィキペディアとChatGPTの子供? 話題のAI検索「パープレキシティ」に迫る CEO来日インタビュー前編」『TECHBLITZ』2024年6月19日。https://techblitz.com/startup-interview/perplexity-01/(2024年12月11日アクセス)
perplexity の文字がプリントされたTシャツを着ているアラビンド・スリニバス。2024年10月30日撮影。(TechCrunch, CC BY 2.0)

また、Perplexity社のSNSアカウントもしばしば、「Perplexityはウィキペディアみたいに使えるよ」という趣旨のポストを行なっています。X (Twitter) における当該ツイートは、from検索や下記リンクからご確認ください。

ウィキペディアのロゴがプリントされたTシャツを着る、ウィキペディア創設者のジミー・ウェールズ。(Sebastiaan ter Burg from Utrecht, The Netherlands, CC BY 2.0)

コメント

以下、一介のウィキメディアンの視点から雑多に補足したり、感想を述べたりします。

ウィキペディアの危機感

Perplexity の登場により、ウィキペディアの立場が揺らぐのではという言説が散見されます。例えば、”Tom’s Guide” のエディターであるライアン・モリソンは “I just tried Perplexity’s new Pages feature — Wikipedia should be worried” という記事を執筆しています。この記事は、英語版ウィキペディア上で展開される新聞プロジェクト “Signpost” の2024年6月8日号でも取り上げられています。

また、現在大きな問題となっている、生成AIによる質の低いウィキペディア記事の生成に、Perplexityがどの程度使われてしまうかについても、心配する声を聞いたことがあります。

Perplexity は今後も「ウィキペディア的」であり続けられるか(広告編)

Perplexity がウィキペディアに与える影響についてどのような意見を持つにせよ、「そもそもPerplexity は今後もウィキペディア的であり続けられるか」を考えておくことに意義はあるでしょう。この前置きでお察しかと思いますが、私は「Perplexityはウィキペディア的な性質を維持できないのでは」と予想しています。

少なくとも「広告の有無」という観点では、Perplexityはもはやウィキペディア的ではありません。ウィキペディアには、ホスト機関たるウィキメディア財団の「寄付のお願い」以外の広告が掲載されない一方、Perplexityは2024年第四四半期から広告を順次導入すると報じられています。なお、Perplexity社の最高ブランディング責任者(CBO)を務めるドミトリー・シェヴェレンコはこの広告導入について、2024年9月に公開されたインタビュー記事で以下のように述べています。

回答自体に広告を含めることはありません。Perplexityでは回答の下に「次はこんな質問がオススメ」というような画面を表示しているのですが、この関連質問リストの中に広告を含める予定です。広告には広告だと分かるラベルを付与します。

「AI検索エンジン「Perplexity」の中の人に「どんな広告を表示するの?」「日本ではどう展開するの?」などいろいろ聞いてきた」2024年9月12日。https://gigazine.net/news/20240912-perplexity-dmitry-shevelenko-cbo-interview/(2024年12月11日アクセス)

「広告があろうがなかろうが、出典付の情報が示されれば問題ないのでは」という意見もあるでしょう。ただ、広告が掲載された状態で、ウィキペディアで言うところの中立的な観点(「幻想であることはみんなわかっているものの、掲げておくこと自体に意味がある理念」だと私は思っています)がどの程度機能するかは疑問です。例えば、A社の広告が掲載されている状態で「A社が敗訴した裁判について教えて」というプロンプトを打ち込んだ際、きちんと情報が提供されるのでしょうか。

余談ですが、2024年11月には、Perplexityに買い物機能「Buy with Pro」が追加されると報じられました。また一歩、Perplexityはウィキペディアから離れたなという思いを強くしますね。

Perplexity は今後も「ウィキペディア的」であり続けられるか(出典編)

Perplexityに限った話ではありませんが、生成AIの学習データをめぐる著作権問題は予断を許さない状況となっています。Perplexityについても、以下のような報道がなされています。

仮にPerplexityがニューヨーク・タイムズにアクセスできなくなった場合、また一歩「ウィキペディア的」ではなくなります。というのも、そのような状況下でも、我々ウィキペディアンは新聞記事を読み、著作権を侵害しない形でウィキペディア記事の出典として使うことができますからね。仮に初心者が誤って全文をウィキペディアにアップロードしてしまったとしても、削除のためのプロセスが整備されています。

子どもは別人

私は生成AIの台頭については割と楽観的な人間で、「生成AIをより賢くするために、自由に利用できる学習データたるウィキペディアの執筆をがんばるぞ」と考えています。二次利用こそフリーカルチャーの本懐ですからね。

また、ウィキペディアの「ライバル」が登場することについても、好意的な方だと思います。競争を通してウィキペディアの質が向上するのであればむしろ歓迎というスタンスですからね。もちろん、生成AIのハルシネーションがウィキペディアを汚染することに関しては注意するべきだと考えていますし、多少の状況悪化は覚悟していますが、最悪の事態については集合知でなんとか防げるのではとも思っています。

また、散々述べた「Perplexityがウィキペディア的ではなくなっている事態」についても、特に問題だとは思っていません。あえてスリニバスCEOの比喩を援用するのであれば「子どもとはいえ別人なので、別の人生を送るのは当然」といったところでしょうか。そして蛇足ながら「Perplexityはウィキペディアの上位互換だ」という言い方をスリニバスがしていないのは、意図的であるにせよ、そうでないにせよ、見事だと思います。

おそらく、ウィキペディアに関心がある人間、そしてウィキペディアがこれからもサバイブしていくべきと信じる人間が考えるべきは、月並みな言い方ではありますが、Perplexity やその他生成AI、テクノロジーといかに差別化し、それを社会に提示するかでしょう。

Is Less More?

それでは、ウィキペディアはどのように差別化をすればよいのでしょう。答えは大量にあると思いますが、本稿ではスリニバスCEOの別のインタビューを参照しつつ、私見を開陳してみます。

私は情報を探すとき、広告やミスリーディングな情報など、数々の雑多な事柄が注意を引こうとしてくる状態を望みません。どんな検索クエリでも、商業的な意図が少しでもあれば広告が表示されます。そうでない場合でも、多くのパネル、下部のリンク、その他さまざまなコンテンツが表示されます。Googleのビジネスモデルが、検索結果ページをより多くの広告やリンクで埋め尽くし、ユーザーにたくさんリンクをクリックさせることで収益を上げる仕組みだからです。 

私はミニマリズムを信じています。不要なことを極力減らし、ユーザーが必要なものだけを提供して、最も重要なことに集中できるようにするべきです。答えを得たら、それで終わり。「少ないことは豊かなこと」(Less is more)という哲学ですね。 

パープレキシティは多くのリンクをクリックする必要がなく、答えを取り込み、学び、さらに多くの質問をすることを後押しするものです。この新しいインターフェース、新しい体験が、市場を変革できると感じています。これは成長する市場になると考えています。

高嶋幸司「創業2年のパープレキシティが挑む、「Google」という常識の再考 CEO来日インタビュー後編」『TECHBLITZ』2024年6月25日。https://techblitz.com/startup-interview/perplexity-02/(2024年12月11日アクセス)

おやおや?この数ヶ月後には、広告導入のニュースが報じられているのだけど……?という野暮なツッコミはさておき、スリニバスCEOおよびPerplexityの理念を知る上で、非常に興味深い発言です。そして、ウィキペディアが自身の立ち位置をブランディングする上でもヒントにもなるでしょう。少なくとも私は「ああ、ウィキペディアが目指すべき姿はやはり “More is more” だな」と再認識しました。以下、手前味噌で恐縮ですが、過去の私の記事から長々と引用します。

世界最大級の百科事典であるウィキペディアは、既存の百科事典とは異なる「いくらでも書ける」という性質ゆえに長大化し、既存の百科事典が誇っていた「知らないことについてざっと知ることができる」という特質を失ったと分析することもできるでしょう。

これを悲劇と捉えるか、新たなチャンスと捉えるかは人それぞれだと思いますが、私は後者です。具体的には、ウィキペディアは、国立国会図書館サーチを補完するレファレンスブックとしての性質が新たに付与された、拡張的な百科事典になったと考えています。

実際に私が編集した記事 [[デジレ・デフォー]] を取り上げて説明しましょう。この記事の参考文献節には、フィリップ・ハート『新世代の8人の指揮者』や、上地隆裕『アメリカのオーケストラ』といった資料がリストアップされていますが、これらは国立国会図書館サーチで「デジレ・デフォー」と検索してもヒットしない資料です。また、”Desire Defauw” と検索してヒットしない英語資料も、50本ほど用いています。

これはすなわち、国立国会図書館サーチがカバーできていないデジレ・デフォーに関する情報が、ウィキペディア記事 [[デジレ・デフォー]] にまとめられているということです。

この事態は、ウィキペディアの「いくらでも書ける」という性質のおかげで生じたと言えるでしょう。もしウィキペディアに文字数制限があったら「デフォーについて記載があるが、国立国会図書館サーチで『デジレ・デフォー』と検索してもヒットしない資料」を見つけても、気軽に反映させることができません。

たしかに、ウィキペディア記事 [[デジレ・デフォー]] は「デフォーについてざっくり知りたい」人が読める記事ではないかもしれません。しかし、日本語を使用する市民が得られる、デフォーに関する書誌情報およびデフォー自身の情報を増大させているのは、紛れもない事実です(また、執筆者として言い訳をすると、「デフォーについてざっくり知りたい」方のニーズは、記事のリード文で満たせているのではないかと思います)。

Eugene Ormandy「ウィキペディアンの読書記録 #8 菊地成孔「YouTube的JAZZ入門」」『Diff』2023年7月20日。https://diff.wikimedia.org/ja/2023/07/20/ウィキペディアンの読書記録-8-菊地成孔「youtube的jazz入/(2024年12月11日アクセス)

まとめ

本稿では、アラビンド・スリニバスの「ウィキペディアとChatGPTが授かったベイビー」という発言を紹介し、良く言えば縦横無尽に、悪くいえば恐ろしく雑多に感想を述べました。本稿が何かしらのお役に立てば幸いです。

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