日本有数の古書店街である「神保町」での初めてのウィキペディアタウン

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日本の二松学舎大学文学部が主催して2023年2月4日に東京・神保町で開催した公開イベントについて報告する。 これまで、2018年からの取り組みとして 継続して取り組んできた内容については、以下のリンクを参照されたい。 

「ウィキペディアタウン in 秋葉原 vol.5」の開催に向けて

2022年に学部1年生向けのウィキペディアタウンを準備・運営したスタッフ、そしてファシリテーターとともに、今度は一般向けのウィキペディアタウンの準備を進めていった。こちらは一般的なウィキペディアタウンの形式を踏襲することした。これまでは東京・秋葉原にあった二松学舎大学のサテライトキャンパスを拠点としていたが、このサテライトキャンパスが閉鎖されたことと、また選定したトピックが神保町地域に集まっていたため神保町駅近くのレンタルスペースを借りての実施となった。これまで「ウィキペディアタウン in 秋葉原」と題していたイベント名をどうするかは悩んだが、ナンバリングの継承を考え「ウィキペディアタウン in 秋葉原 vol.5」とした。 

記事執筆項目 

今回は、災害をテーマに掲げることとしていた。その観点から、次の2つのトピックを取り上げることとした。一つは淡路公園。秋葉原駅と御茶の水駅の中間あたりに位置し、現在では大規模商業施設のワテラスに併設される形となっているこの公園は、関東大震災後に復興小学校として再建された淡路小学校に併設する復興小公園と呼ばれるものからはじまった。その歴史を調べていくことで、災害の記憶をある形で掘り出すことが可能になるはずだという見込みだった。併せてこの公園の敷地のある場所は、現在は西日暮里にある開成中学校・高等学校の発祥の地でもあり、「開成學校発祥の地」という石碑も置かれている。この点でも広がりのあるトピックだと考えられた。もう一つは南明館。南明館は学部1年生向けウィキペディアタウンで取り上げた「五十稲荷神社」の隣にあった、明治から大正にかけて存在していた勧工場(デパートの前身にあたる商業施設)である。南明館の歴史をみていくと、前身となる洽集館(こうしゅうかん)が1892年(明治25年)の「神田の大火」によって焼失した後に再建され、とあった。神田地区は歴史的に繰り返し大火の被害に遭ってきており、この南明館を通して火災の歴史を掘り出せるのではないかと考えた。 

資料調査 

資料調査は主に千代田区立千代田図書館で行ったが、一部の資料については日比谷図書文化館および国立国会図書館を利用した。本番での作業のために用意した資料のリストを末尾に掲げる。ここではその内容を概略にて紹介する。 

会場に集まった資料群 / File:Wikipediatown_in_Akihabara_vol.5_2023-02-04(2).jpg on commons.wikimedia.org / Photo by Sanagi618 / CC-BY-SA-4.0

淡路公園については、資料は大きく4つのグループに分類できる。1)現在の淡路公園に直結する再開発に関するもの、2)関東大震災からの復興に関するもの、3)淡路小学校に関するもの、4)開成中学校に関するもの、である。資料調査を進めていくなかでの最大の発見は、千代田図書館に所蔵されていた、淡路小学校関係者が編集した記念集の類だった。淡路公園を横にみながら淡路小学校で学んでいた小学生たちの学校生活が活き活きと記録されていたのと同時に、その場所や周辺地域に関する歴史的背景についても非常に幅広くまた詳細にまとめられていた。ただ、今回は「淡路小学校」ではなく「淡路公園」が主題であったので、取り上げたくても取り上げられなかった情報も多かった。日比谷図書文化館の特別研究室に眠っていた『復興新築校舎落成記念』という写真集も、再建直後の淡路小学校の講堂や各教室内部の真新しい姿を記録していて非常に印象深いものだったが、記事には反映できなかった。また開成中学校の校史を繙いていくと、関東大震災によって崩壊した校舎を前に呆然とたたずむ学生たちの姿が生々しく描き出されており、災害をテーマとした今回のワークショップではぜひ取り上げたいものではあったが、同様に扱うことはできなかった。 

南明館については、資料は大きく5つのグループに分類できる。1)前身となった洽集館に関するもの、2)火災による焼失後に再建され改名された南明館にかんするもの、3)洽集館、南明館にも縁のあった樋口一葉に関するもの、4)南明館が貸席(レンタルイベント会場)として衣替えをしてできた南明倶楽部に関するもの、5)南明倶楽部のあとに映画館となってできた南明座にかんするもの、である。これらの資料を調べていくなかでの最大の発見は、洽集館を焼失させることとなった火災がもたらした被害の詳細であった。1892年(明治25年)の神田大火によって全体で24名の犠牲者が出たが、実にそのうちの18名が洽集館で生じた被害者であった。調べていくと、その甚大な被害がきっかけとなって、非常口の設置や避難経路の確保などを定めた商業施設に関する新しい法律がつくれたという事実も分かった。さらに『風俗画報』の明治25年に刊行された号の中に、洽集館での火災を取り上げた記事を見つけた。そこには、火災で死亡した17名の実名と住所(加えて、住所姓名不詳1名)が記載されており、併せて洽集館での火災の様子を描いた残酷かつ生々しいイラストを発見して衝撃を受けた。ただし以上の詳細は、扱う情報量が多くなってしまうため、時間の関係上記事に反映させることはできなった。またイラストについてはその時点では著作権上の懸念を完全には払しょくできなかったためウィキメディアコモンズにはアップロードできていない。南明倶楽部に関しては、大正デモクラシーの運動のなかで決定的なターニングポイントとなった吉野作造による演説が南明倶楽部で行われていた、という事実が分かったが、これも時間の関係上取り上げることはできなかった 

広報と本番準備 

資料調査と並行して、イベント管理プラットフォームのPeatixを利用し広報を開始した。またワークショップ本番で実施する取材をかねた街歩きのルートの選定も進めていった。取り上げるトピックの周辺地域の歴史ある建物を調べ、リストにしながら往復1時間を目安に候補を考えていった。災害というテーマとの関わりや、また神保町、神田地域の歴史に触れることができる場所を中心に、会場から神田錦町更科・五十稲荷神社・麻雀木屋・震災記念の碑を経由して、淡路公園までを歩くというルートを策定した。広報開始がワークショップ本番の1か月前と直前となってしまったが、8名が申し込んだ。 

ウィキペディアタウン当日 

ワークショップ開始の1時間前に集合し、会場の設営をしたのち、参加者の受付を行った。以下が当日のタイムテーブルである。 

10:00 – 10:15 受付
10:15 – 10:50イベント趣旨説明およびウィキペディアの編集についての解説
10:50 – 12:00フィールドリサーチ/記事用の写真撮影
12:00 – 13:00  昼食休憩
13:00 – 15:30記事執筆
15:30 – 16:00記事講評/振り返り
16:00解散
当日のタイムテーブル

当日欠席者が出た関係で、学生スタッフも執筆メンバーに加わることとし各チーム4名ずつの8名で執筆作業に当たることにした。以前のウィキペディアタウンに参加してくれたことのある参加者も何名かいたが、日常的にウィキペディアの記事執筆にかかわっている参加者は1名だけであった。はじめてウィキペディアの記事を編集する、という参加者も1名いた。残りの参加者は、記事を編集したことはあるがあまりはっきりとは覚えていない、というレベルであった。 

10時の定刻からワークショップを開始、趣旨説明ののち、オリエンテーションおよび谷島貫太二松学舎大学准教授による題材についての説明が行われた。あわせて参加者の簡単な自己紹介と、挙手制でどちらの記事を執筆するかを決めるグループ分けを行った。 

街歩きに際しては、事前にルート上に位置する場所の過去の写真などを集めた資料を配布した。その配布資料も参照し、スタッフによる説明をはさみつつ時折立ち止まりながら約1時間かけて淡路公園までたどりついた。今回扱うトピックの一つである南明館はすでに存在しないので、かつて建物が立っていたはずの場所を確認することしかできなかったが、明治時代のイラスト上で南明館の隣に書かれている五十稲荷神社はいまも存在するため、そこで少し時間を使って写真を撮影した。淡路公園については、商業施設のワテラスに併設され、公園としてはかなり変わった敷地の形をしているため、どの地点からどのアングルで写真を撮ればよいか試行錯誤しながらの撮影となった。淡路公園で昼食・休憩解散となり、13時に会場に各自集合して午後の作業を開始した。 

午後の記事執筆作業では、グループごとに参考記事なども探しながら記事の構成案を組み立てていくところからスタートした。事前にある程度想像していたことだったが、今回取り上げた二つのトピックでは、「淡路公園」の方が記事構成の難易度が高いようだった。「南明館」は、時系列で出来事をまとめていけばひとまずまとまった記事になりそうだが、「淡路公園」については、淡路小学校や開成中学校など、深く関係はするけれど主題とは異なる事柄をどのように「淡路公園」という枠組みのなかに組み込んでいくのか、という点で構成上の工夫が必要になるからだ。幸い、ウィキペディアの記事執筆経験が豊富な参加者が、そのあたりもくみ取って「淡路公園」チームに加わってくれたので、そのリードのもと記事構成案がつくられていった。 

記事の構成案ができると、今度は担当を決めて関連資料を読み込むフェーズに移る。各テーブルには付箋が用意されており、ファシリテーターから、資料内の必要な情報を資料の出典情報とあわせて付箋に書き込んでいくようアドバイスがなされる。参加者が黙々と資料を読み進めていくなか、様子を見てスタッフが参考になりそうな資料を紹介していく。ホワイトボードに整理された各記事の構成表の各パートに、情報を書き込まれた付箋が貼り付けられていく。ときおり聞こえてくる独り言は、資料のなかに使えそうな情報が見つかった合図か、あるいは執筆する文章のイメージを作り上げていく際の脳内の情報処理が発する音だ。だんだんと機が熟してくる。いつのまにか参加者たちがキーボードに文字を打ち込んでいく音が大きくなっていく。 

ウィキペディアタウンは後半になればなるほど加速していくスロースタートの中距離走のようなもので、参加者たちが実際に文章を書きはじめた時にはほとんどラストスパートに入っている。気づくと講評開始の予定時刻まで30分を切っている。記事の公開作業は、まずは入れ物となる新規記事を用意するところから始められる。そのあとに編集競合を避けるために声掛けをしながら、順番に記事を構成していく。各メンバーが用意していったパーツが組みあがっていく。記事の輪郭がだいたい出来上がっていったところで、撮影してきた写真もウィキメディア・コモンズにアップロードし記事に読み込む。地味に時間がかかるのが出典情報の追加だ。ファシリテーターのサポートを受けながら注を付け、出典情報を書き込んでいく。数字の表記の統一がされていないことに気づき、こちらも修正していく。 

予定時刻より30分ほど遅れて講評パートに入った。それぞれ記事自体はすでに形になっているが、講評の準備を進めていく背後でもまだキーボードを叩く音が響いているのもいつもの光景だ。各チームごとに代表者を決め、記事の内容について説明していってもらう。経験上、チームの最年少メンバーが代表者になることが多い印象だが、今回もそうだった。大学1年生と2年生の参加者が、それぞれ簡単な報告をしていく。どちらの記事も、参加者自らイベント終了後にも追記されるなど、しっかりと構成され、出典情報も丁寧に付された内容となっている。 

ホワイトボードに貼られた付箋 / File:Wikipediatown in Akihabara vol.5 2023-02-04(4).jpg on commons.wikimedia.org / Photo by Sanagi618 / CC-BY-SA-4.0

以下は参加者たちが付箋にまとめた感想だ。 

  • 様々な場所を巡って昔の写真を見比べてみると、今とは印象が違い、別の角度で物を見ることができた。
  • ウィキペディアの編集は、メンバーが参考にしているウィキと被らないように別のページを見るように心がけた。 

楽しく作業してもらえたのと同時に、学び体験や社会的な意義を感じてくれた参加者も少なくなかったようだ。また、事後アンケートに寄せられた反省/提案としては主に以下のコメントが寄せられた。

  • 作業の時間をもっと欲しい
  • グループ間でのコミュニケーションの時間が欲しい
  • 表記ルールなどを事前に共有してもらえればもう少し効率的に執筆ができたかもしれない 
  • 街歩き中、集団で狭い道路を通る際には工夫が必要かもしれない。 

今回、はじめて秋葉原から場所を移し、神保町を拠点としてウィキペディアタウンを実施したが、資料調査の段階から、神保町という場所の奥深さを何度も感じることがあった。新年度にあたる2023年4月以降についてはまだ何も定まっていないが、しばらくは神保町そのものをテーマとしたウィキペディアタウンを実施していくことも考えている。記事にするトピックの候補もすでにいくつかある。シリーズとして継続してきた「ウィキペディアタウン in 秋葉原」という看板も、「ウィキペディアタウン in 神保町」に衣替えするかもしれない。こうして場所の引力に引き寄せられてるのも、このワークショップの魅力の一つだろう

最終的に完成した「淡路公園」の記事 / https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%85%AC%E5%9C%92&oldid=94156586
完成した「南明館」の記事 / https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8D%97%E6%98%8E%E9%A4%A8&oldid=94002184

 最後に、今回のワークショップにスタッフとしてかかわってくれた3名の学生の振り返りを紹介して本報告を締めくくりたいと思う。 

 約半年間という長期的なプロジェクトであったが、まずは無事に終えることができてよかった。普段は何かを検索するときにしか見ることがなかったウィキペディアだったが今回のプロジェクトを通して、みる側からみられる側になったことが一番の違いだと思う。ウィキペディアタウンがスムーズに行えるように様々な準備などは大変だった部分もあったが、参加者の方々から「楽しかった」や「参加してよかった」などの言葉をいただき自分をこのプロジェクトに参加してよかったと思ったし、やりがいを感じられた。 

後藤聖真

ウィキペディアタウンを運営するにあたって初めてなことが多く苦労することが多々ありました。今まで図書館を利用する機会がなかったため、レファレンスサービスを利用し、区史や閉架図書にある資料を閲覧しながらの資料集めは新鮮な体験になりました。一方で参加者や目的に合わせて資料を選別することや該当する資料を見つける難しさを実感しました。イベント当日では、エラーが出た際にどこが問題なのかを瞬時に解決することができず力不足だったため、マニュアルや知識をしっかりとしたものにしていく必要があると感じました。 

全体を見ると至らない点も多々あったが、1つのページを作るまでの流れを経験でき、図書館を通じて、題材に関連することをより深く知ることができたことが良かったです。また、ウィキペディアの記事を公開し、検索して出てきた瞬間は達成感を感じました。 

今回で終わるのではなく、今後も継続してウィキペディアタウンを開催していって欲しいと思います。 

中村駿介

はじめに、無事にこのプロジェクトを終えられてよかったなと思います。ウィキペディアに関して全く知識がない状態からこのプロジェクトに携わったので、正直最後までやり切れるか不安な気持ちもありました。しかし、プロジェクトが進むにつれ自分たちで行う作業にやりがいを感じることができました。特に、図書館で何日もかけて資料を探したりプロジェクトを成功させるための計画や準備など一つ一つの作業どれも大変でしたが、無事に終えられて達成感を感じています。ウィキペディアそしてウィキペディアタウンについて今後大学を通して少しでも多くの方に興味を持ってもらいたいなと思いました。

道場涼太

次年度は、バトンを次の学年に受け渡してさらに充実したウィキペディアタウンを実施していきたいと考えている。 

※参考資料 「ウィキペディアタウン in 秋葉原vol.5資料リスト」 

淡路公園 

  • 淡路公園 
    • 「淡路町二丁目西部地区第一種市街地再開発事業」 
    • 都市再生における官民連携による都市計画制度に関する研究 : 都市再生特別地区の実態と課題 
    • https://researchmap.jp/kitaza10/published_papers/19519510/attachment_file.pdf (p.119-121) 
    • 『新都市』49(7)(582),都市計画協会,1995-07. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2737296 
  • 震災/復興小公園 
    • 小林正泰 『関東大震災と「復興小学校」』 勁草書房 2012 
    • 小沢健志 『写真で見る関東大震災』 筑摩書房 2003 
    • 神田万世橋まち図鑑制作委員会 『神田万世橋まち図鑑 東京ルーツ!神田のまち巡り40』 株式会社フリックスタジオ 2014 
    • 松葉一清 『「帝都復興史」を読む』 新潮社 2012 
    • 末松四郎 『東京の公園通誌 下』 郷学舎 1981 
    • 土居利光 『東京都における公園緑地計画の系譜Ⅰ』 東京都公園協会 2009 
  • 淡路小学校 
    • 東京都千代田区 『新編 千代田区史 区政史資料編』 東京都千代田区 1998 
    • 東京都千代田区 『新編 千代田区史 区政史編』 東京都千代田区 1998 
    • 千代田区教育委員会 『千代田区教育百年史-別巻』 千代田区 1980 
    • 千代田区立淡路小学校『淡路 風土記――創立』創立百十周年記念誌部 1986 
    • 東京都千代田区立淡路小学校『あわじ』東京都千代田区立淡路小学校 1976 
    • 東京都千代田区立淡路小学校『淡路の百年』東京都千代田区立淡路小学校1975 
    • 『復興新築校舎落成記念』東京市淡路尋常小学校/編 — 東京市淡路尋常小学校 — 1927  
    • 東京市編『東京市教育施設復興図集』,勝田書店,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1280159 
  • 開成中学校 
    • 開成学園九十年史編纂委員会 編『開成学園九十年史』,開成学園,1961. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9544122  
    • 高橋是清 述『半生の体験 : 世に処する道』,今日の問題社,昭和11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1105660 
    • KANDAルネッサンス出版部『神田まちなみ沿革図集』久保工務店 1996 

南明館 

  • 洽集館 
    • 建築学会 編『明治建築座談会』第2回,[建築学会],[昭和8]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1178734  
    • 東京市編『東京市史稿』変災編 第5,東京市,大正6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1915694  
    • 三省堂編輯所 編『日本百科大辞典』第3巻,大日本百科辞典完成会,明41-大8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/898067  
    • 『風俗画報』(41),東陽堂,1892-05. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1579469  
    • 東京の消防百年記念行事推進委員会 編『東京の消防百年の歩み』,東京消防庁,1980.6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9583970  
    • 萩原一郎 [著]『建築火災における避難安全規定の研究』. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3127991  
    • KANDAルネッサンス出版部『神田まちなみ沿革図集』久保工務店 1996 
  • 南明館 
    • 水田健之輔 著『本朝商業広告史』,巌松堂書店[ほか],昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1181223  
    • 村上直治郎 著『最新女子記事文範』,実用女学校出版部,明39.6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/866676  
    • 『東京市統計年表』第3回,東京市,明36-44. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/806545  
    • 遠藤元男 編『江戸東京風俗誌』,至文堂,1963. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9544364  
    • 加藤蕙 著『みつめた東京百年』,圭文館,1966. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2988630 
    • 森集画堂編輯部 編『東京案内』,森集画堂,明42.6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/764075  
    • 『千代田区史』中巻,千代田区,1960. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3010324  
    • 鈴木理生『明治生まれの町 神田三崎町』青蛙房,1978 
    • 平野光雄 著『明治・東京時計塔記』,明啓社,1968. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2518855 (参照 2023-01-29)※個人送信 
    • 南亮一「ショッピングセンターの原型・勧工場の隆盛と衰退」法政大学イノベーション・マネジメント研究センター(『法政大学イノベーション・マネジメント研究センター ワーキングペーパーシリーズ』234,2020) 
  • 樋口一葉 
    • 馬場孤蝶 著『明治文壇の人々』,三田文学出版部,昭和17. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1127237 (参照 2023-01-31) 
    • 林順信『東京市電名所図絵 総天然色石版画・絵葉書に見る明治・大正・昭和の東京』JTB,2000 
    • 南明倶楽部 
    • 麻生久 著『黎明』,新光社,大正13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/979359 (参照 2023-01-31) 
    • 田中惣五郎 著『吉野作造 : 日本的デモクラシーの使徒』,未来社,1958. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2984048 
    • 菊川忠雄 著『学生社会運動史』,中央公論社,昭和6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1181643 
    • 藤井誠治郎 著 ほか『回顧五十年』,藤井誠治郎,1962. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3047992 
  • 南明座 
    • 十重田裕一 『コレクション・モダン都市文化 第19巻 映画館』 ゆまに書房 2006 
    • キネマ旬報社 『映画館のある風景 昭和30年代盛り場風土記・関東篇』 キネマ旬報社 2010 
    • 東京都千代田区 『新編 千代田区史 通史編』 東京都千代田区 1998 
    • 森まゆみ 『町の履歴書 神田を歩く』 毎日新聞社 2003 
    • 神田公園地区連合町会 『大好き神田2003 神田を歩こう』神田公園地区連合町会 2003 
    • 千代田区区民生活部 『江戸・東京の歴史をたずねて 千代田まち事典』 千代田区区民生活部 2005 
    • 『キネマ週報 = The movie weekly』(6),キネマ週報社,1930-03. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/7965005 
    • 『キネマ旬報』(171),キネマ旬報社,1924-09. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/7904435 
    • 『キネマ旬報』(533)(1347),キネマ旬報社,1970-10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/7905603 
    • 『キネマ旬報』(534)(1348),キネマ旬報社,1970-10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/7905604 

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