ウィキペディアの編集記をいくつか作成した感想

「ウィキペディアの編集記がもっと作成されてほしいなあ」と私は常々思っています。ウィキペディアには「Wikipedia:信頼できる情報源」といったガイドラインや、「利用者:みっち/記事の書き方」といった個々のウィキペディアンが作成した執筆テクニック集は存在するのですが、特定の記事を立項・加筆するにあたりどのような調査をしたのか、そしてどのようなことに困ったのかを記した資料はあまり多くありません。そのため、私はウィキメディア財団が運営するブログ Diff に、いくつか編集記を作成しています。本稿では、このような編集記を作成する際に考えていたことを紹介します。

Public Domain

今までに作成した編集記

重視したこと

これらの編集記を作成するにあたり、私が重視したことは2つあります。

1 再現可能性

1つ目は再現可能性です。つまり「その編集記を読めば当該ウィキペディア記事を初心者でも問題なく立項できる」ことを重視しました。そのために、編集プロセスをできる限りわかりやすく示すよう努め、ウィキペディア記事の編集に慣れた人が冗長に感じるようなことでも細かく書いています。例えば「ウィキペディア記事「2005年のトルクメニスタンにおける図書館の閉鎖」を立項する」という記事では、以下のように記しています。

早速メイン出典を確保できたので、次はそれを補足するサブ出典の収集に移ります。まずは手っ取り早く、酒井論考の参考文献として挙げられている論考を探しました。

最初に目をつけたのは、酒井論考で重要な参考文献として活用されている、John V. Richardson Jr. による2つの論考です。とりあえず両論考が収録されているジャーナル IFLA Journal について調べたところ、ありがたいことにオープンアクセスでした。つまり、2つとも無料で全文を読むことができたということです。嬉しいですね。

Eugene Ormandy 「ウィキペディア記事「2005年のトルクメニスタンにおける図書館の閉鎖」を立項する」『Diff』2024年1月5日。

上記の記事では、単に「酒井論文の参考文献として挙げられていた2つの論文を探して読んだ」と済ませるのではなく、何のためにその資料を探すのか、資料はアクセス可能か否かといった情報も示しています。文章は多少長くなりますが、わかりやすさを優先するため、このような記述としています。

欲を言えば、ウィキペディア記事を書く際に参照した資料のテキストを全てコピーアンドペーストした上で、①ウィキペディア記事に反映した部分②一読して反映しないと決めた部分③反映するか迷ったものの結局反映しなかった部分でマーカーで色分けし、その理由をコメントで書き込みたいのですが、これは著作権上の理由で断念しています。「参考文献からどの記述をピックアップするか」は、ウィキペディア記事の編集において最も難しい点だと個人的には思っているので、著作権を遵守した形でいつかマニュアル化したいとは思っています。

2 ウィキメディア・ムーブメントの史料としての価値

編集記の作成において意識していた2つ目のポイントは、ウィキメディア・ムーブメントの史料としての価値です。

ご存知のとおり、ウィキペディアをはじめとするウィキメディア・プロジェクトは世界的に大きな影響力があり、インターネットの歴史を記述する上で無視できないサービスの一つと言えます。そのため、それらがどのように形成されたか、そしてユーザーたちがどのようなことを考えながら参加していたかを記録する必要があると私は強く思っています。そこで、自分の編集記には上記の情報をできる限り盛り込むよう努力しています。

例えば、「ウィキペディア記事「カンボジア国立図書館」を立項する」という編集記では、記事を編集する上で妥協したことについて(赤裸々に?)書いています。

仕上げとして、ウィキペディア図書館に収録されている JSTOR, Gale などを検索。ここでカンボジア国立図書館について詳細に論じた Jarvis の論文 “The National Library of Cambodia: Surviving for Seventy Years” を見つけてしまいます。「仕上げのつもりが、振り出しに戻っちゃったよ……」とガッカリしたのですが「ウィキペディアは百科事典だし、細かい内容については書かなくてもいいよね」と判断し、ポル・ポト時代が終わったのちに復帰した職員についての大まかな記述のみをウィキペディア記事の下書きに反映しました。(略)やはりウィキペディアの記事は妥協と忘却の産物ですね(?)

Eugene Ormandy「ウィキペディア記事「カンボジア国立図書館」を立項する」『Diff』2024年4月11日。
カンボジア国立図書館。(Gonzo Gooner, CC BY 3.0)

また、「約100年前の火事のウィキペディア記事を編集する」という記事では、既存のウィキペディア記事を加筆するときの方法や、気をつけていることについて書いています。

私はウィキペディア記事を大幅に加筆する場合「ゼロから下書きを作り、ある程度完成したら既存の記事と見比べて、足りない情報を補う」という方法を採用しています。経験上、その方が効率的だからです(他人の文章を補足修正するという気を遣う作業は最後にまわしたいのです)。

Eugene Ormandy「約100年前の火事のウィキペディア記事を編集する」『Diff』2023年6月8日。

なお、おまけとして、ウィキメディア以外の文化のアーカイブにも貢献できるよう、色々な要素をこっそりと追加しています。例えば「テレビ番組『有吉弘行の脱法TV』のウィキペディア記事を立項する」という記事では、2023年の日本におけるテレビの視聴形態の一例を明文化しています。

私はテレビバラエティが好きで、面白そうな番組の情報を集めるために Twitter (X) を活用しています。具体的には、テレビバラエティファンのアカウントを数多くフォローし、タイムラインに表示される評判の良い番組を TVer の見逃し配信機能で視聴しています。

2023年11月、フォロワー達が一斉に「『有吉弘行の脱法TV』がすごかった!」と投稿していたので、早速時間を確保して観ることに。2022年にテレビ好きを驚愕させた実験番組『ここにタイトルを入力』でディレクターを務めた原田和実さんと、全曜日のゴールデン&プライム帯に冠番組をもつ有吉弘行さんのタッグということで、否が応でも期待は高まります。

(略)

2023年12月20日、『有吉弘行の脱法TV』が2023年11月度のギャラクシー賞月間賞を受賞したことが発表されました。

私はこのニュースを受けて、番組のウィキペディア記事を立項しようと思い立ちました。というのも、放送批評懇談会が授与するギャラクシー賞は、視聴者、出演者の双方から一定の信頼を得ているため、ウィキペディアの出典として活用できそうな批評記事、解説記事がいくらか公開されると予想したからです。

そしてその予想は当たっていました。

Eugene Ormandy「テレビ番組『有吉弘行の脱法TV』のウィキペディア記事を立項する」『Diff』2023年12月23日。

犠牲にしたこと

プロジェクトの優先事項を定める場合、同時に「犠牲にすること」も明確にするよう私は努めています。もちろんウィキペディアの編集記についても同様です。編集記を作成する際、私が犠牲にしているのは「読み物としての面白さ」と「読みやすさ」の2つです。

犠牲1 読み物としての面白さ

私が作成する編集記は、読み物としてそこまで面白くないと自覚しています。正確にいえば、ウィキペディアやウィキペディアの編集に関心がない方が「面白い」と感じるような記事ではないと思っています。なぜなら、私の編集記はいわば家電機器の説明書のようなもので、ウィキペディアに関するユーモラスなエッセイではないからです。

そのため、私の編集記が、そのような人々をウィキペディアの世界に引き込む可能性はきわめて低いと想定しています。また、SNS上で「バズる」ことも基本的にはないと考えています。一方、ウィキペディアの編集経験のある方や、これからウィキペディアを編集したいと考えている方にとっては、多少楽しんでいただけるのではないかなとも思っています。

とはいえ、正直なところ私は自分の記事がどれだけ読まれるかにほとんど関心がなく、興味があるのはあくまでウィキメディア・ムーブメントの史料を作ることです。そのため、読み物としての面白さは割と気軽に犠牲にできるのです。

犠牲2 読みやすさ

先述のとおり、私の編集記は冗長です。なぜなら、再現可能性を重視し、編集プロセスをできる限り明示するよう努めているからです。これに伴い、編集記で犠牲にするべき点は自然と浮き彫りになります。それは読みやすさです。つまり「短く読みやすいが具体的な編集プロセスはわからない文章」と「冗長だが具体的な編集プロセスがわかる文章」のどちらを取るか選択しなくてはいけなくなった場合、私は後者を選択するようにしています。

なお、このような基本スタンスを決めておくと、執筆時間の短縮にもつながります。

まとめ

Eugene Ormandy が作成したウィキペディア記事の編集記について簡単にまとめてみました。他のウィキペディアンが編集記を作成するきっかけとなれば幸いです。

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