Wikimedians of the Year 2024受賞者との出会い

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Wikimedia movementは、知識の共有に対する愛にあふれた、多様性を持ったコミュニティ であるウィキメディアンたちの存在がなければ成立しません。

毎年Wikipediaの創設者であるジミー・ウェールズによって授与される賞”Wikimedian of the Year”は、私たちのミッションに対する貢献をたたえるものです。この賞では、ウィキメディア財団は、ウィキメディアのミッションに対して自らの個性や献身、また人一倍の努力を発揮した人を称えます。こうした貢献をしていただける人のおかげで、WikipediaやそのほかWikimedia Projectが成立しています。幅広い分野を通じて、私たちは熱意ある新来者と長らく貢献していただいた方を賞賛します。また私たちウィキメディア財団は、多様なメディアを通して技術的な分野で成果を残した人やプロジェクトを充実させた人を称えます。私たちは、広くプロジェクトを届ける人や愛すべきコンテンツを作り上げる人、私たちのインフラストラクチャを動かしてくれる人や裏方としてコミュニティをサポートしてくれる名もなきヒーロー、そのほかあらゆる形で貢献してくれる人たちを称え、それぞれのWikimedianの貴重な活動をこの賞に託します。

それでは、2024年のWikimedian of the Year 受賞者を発表します。

The Wikimedian of the Year: Clovermoss

Wikimedian of the Year史上最年少の受賞者、Username: Clovermoss ことHannah Clover を紹介します。Cloverは21歳で、Wikipedia創設の1年後に誕生しました。Cloverは若年ですが、英語版Wikipoediaの編集回数24,000回以上のベテラン編集者で、管理者権限を保持しています。彼女の活動は、一体感と自由な知識への貢献することへの喜びという、ウィキメディア運動に最も熱量を注ぎ込む部分を体現しています。「編集者の考察」プロジェクトを通じて、Clovermossは英語版Wikipediaの編集者から200以上のストーリーと経験を集めました。また彼女はモバイル編集とウィキメディア運動の新規参加者サポートを強力に推進しました。彼女にとって、Wikipediaの編集者とは単にオンライン百科事典に寄稿するのみならず、世界に対して有意義な貢献をする人なのです。よって、私たちは彼女にWikimedian of the Yearを贈り、讃えるのです。

ClovermossのWikipediaでの最初の編集経験は2018年、16歳になってすぐのことでした。Wikimedianにとってよくあることとして、彼女はWikipediaに間違いがあることを見つけ、その間違いを直したいという思いからWikipediaの編集に参加しました。その日聞いていた曲の記事にある間違いを直した日から、彼女はWikimediaでの経験を積み重ね、世界中のWikimediaコミュニティとつながることとなりました。彼女は知識の共有が世界を変える力となることを即座に理解し、自身の言葉でこのように表現しています。「16歳で世界を変えようと思わない人がいるでしょうか?」

彼女はアクティブなWikimediaの編集者となり、自分が読者として興味を持ったコンテンツを充実させることを目指しました。彼女の編集の多くは母国であるカナダに関連するものでしたが、そこで彼女はコンテンツのギャップに驚くことになります。彼女はWikimedia Commonsにも写真をアップしますが、Wikipediaのは今でも彼女の好きなプロジェクトです。

彼女が最も大切にしている思い出の一つは、英語版Wikipediaメインページの「Did you know」欄に、自分が最初に編集した記事が掲載された時に感じた誇りと楽しさを感じたことです。彼女は自分の記事が取り上げられたことに誇りを持っただけでなく、そのことがコミュニティのサポート、特にその記事を推薦してくれるほどに信頼してくれた編集者によって掲載されるようになったことを忘れていません。

Clovermossは新規編集者のメンターとして献身的に活動しています。彼女のトークページには、Newbie Centralと名付けられた、新規編集者の助けになる情報が書かれていたり、質問を投稿する場所があります。彼女は、Wikiの世界に一歩踏み出した人、特に何をすべきかわからない人からの質問を歓迎しています。彼女の主なアドバイスは、自分のWikipediaの編集経験を認めることです。彼女は言います。「私たちはみんな、間違いをするし、苦悩するし、そしてそこから学ぶのです。みんな違う道を歩むのですが、それでよいのです。とはいえ、うまくいくためのコツは、根気良く、また人の意見をよく聞くことです。」

編集にかかわりはじめた頃から、彼女はWikipediaのコミュニティに参加することを望んでいました。そしてそれは今日まで彼女の帰属意識に対するモチベーションとなっています。2023年に彼女はWikiConference North Americaに参加し、多くのWikimedianに会いました。そこでの多くのWikimedianとの会話に触発され、「編集者の考察」を始めたのです。

Clovermossはポケットの中からでもWikipediaにアクセスできるようにすることを推進しています。彼女の編集の75%はモバイルデバイスからの編集で、モバイル編集の使い勝手が向上するように意見を出し続けました。「私たちはみんな、スマートフォンですばらしい体験を経験しています。みんなが友達と会話するために書く大量のテキストのことを考えてみてください。」Clovermossは、モバイル編集の可能性を拡げることが、Wikipediaの未来にとって大事であると確信しています。彼女のモバイル編集に対する考察と熱心な支持は、コミュニティがWikiの世界においてモバイルテクノロジーの活用法を理解するための助けとして重要でした。

Clovermoss は自分自身がWikipediaの管理者であることから、管理者に就任する人が少なくなることに対する懸念があります。彼女はもっと多くの人が管理者になるように望んでいます。管理者に求められる水準が上昇していることは認識していますが、彼女はバランスの取れたアプローチを重視しており、単に「完璧な」候補者を求めるのではなく、様々なスキルセットを持った管理者の集団の価値を認識しています。

Clovermoss は編集をしていないとき、10歳の時に習った編み物を編んでいます。自分で編んだマフラーを友達にあげるのが大好きです。彼女はまた、自然の中でハイキングやランニング、ガーデニングをしたり、泳いだり、木登りしたりすることも好きです。彼女は「森の中を8時間も歩いていると、心が穏やかになるのです」と話しています。

彼女は言います。「私のアドバイスは、親切にすることです。他人がどんな思いをしているか、わかりません。それよりも誠意をもって接することが大切だと思います。私たちWikimediaのコミュニティは、どんな人でも貢献できる、健全な場所にする努力を怠ると、広がっていくことはありません。」

Wikimedia桂冠賞: DerHexer

User:DerHexer として知られるMartinは、2007年からWikimediaのスチュワードを歴代最長で務め、グローバルのコミュニティをサポートしています。2024年のWikimedia桂冠賞を、彼に贈ります。

Martinは2005年からという長い期間Wikimedia movementに参加しています。彼はこの運動に多くの役割をもって参加しています。すなわち良質な記事・秀逸な記事の執筆、ドイツ語版と英語版のWikipedia、そしてMeta-Wikiの管理者、Wikipediaで使用されている、表彰を受けた何百もの写真を投稿する写真家、メディアアーカイブであるWikimedia Commonsの管理者、というものです。彼は、Wikimediaのなかで重要な技術的更新の1つである、統一ログインの実装を推進しました。そしてそれは複数のWikimediaプロジェクトでの寄稿を容易にするものでした。彼のもっとも賞賛すべき最大の功績は、このような活動を17年の間継続的に活動し、最も長くWikimediaのスチュワードを務めていることです。

スチュワードは、Wikimediaのプロジェクトの裏方として動く、名もなきヒーローです。世界中から多数のバックグラウンドを持つ人がある丸用に選出され、Wikimediaのプラットフォームを全体的にサポートし、プロジェクトの信頼性と安全性のために活動することを可能にする技術的な権利を持っています。DerHexerはこのように説明しています。「Wikimediaのスチュワードは、普段は裏方として控えて、他のユーザーが普通ではやりたがらない面倒なことをやって浮います。私たちはコンセンサスを保ち、小さなプロジェクトがスパムや荒らし行為に合わないよう活動しています。それだけなく、パスワードクラッキングや個人情報・著作権などの権利侵害、不適切なテキストやイメージなど、大事な活動だけど、ほかの人が知りたくも直し心配もしたくないような事柄にも対処しています。」

DerHexerはこのような仕事を楽しんで実施します。それは、ほかのWikimedianたちが活動することを支援しながら、プロセスを調査し、改善していけるからです。彼は言います。「私の主な貢献は、ほかの人の負担を軽くし、もっと貢献できるようにすることです。」彼はまたスチュワードの仕事を世に広めています。彼はWikimediaのスチュワードのグループの作成に加わり、Wikimediaの集まりでスチュワードを代表して参加しました。

彼は、自身がスチュワードに就任した17年前と今とでは多くの事柄が変化していると感じています。例えばワークフローはよりグローバルになり、たくさんのツールが開発され、ウィキメディア財団からの注目とサポートも手厚くなっています。しかし、コンテンツを荒らしから守り、ユーザーを安全に保つという意味ではもっとやることは増えていると感じています。スチュワードの働きは以前よりも重要になり、グローバルな課題に対応することと、必要とされるコーディネートやサポートに対応するために、活動するスチュワードの数と多様さを持ったグループが必要になっています。2015年に開催された、Wikimediaのスチュワードの会議は、彼のWikimediaでの活動の貴重な記憶の1つであり、この会議から10周年となるときに第2回の会議を開くことで、グローバルな課題の解決の助けになることを願っています。

DerHexerは、ウィキメディア運動は社会的で、特別な場所であると考えています。彼は言います。「私はWikimedianにホームタウンのベルリンを案内することが大好きです。そして彼らも、私がこの町で生まれ育ったことを知っています。人々とあって、その人の始まりや動機、挑戦について知ることが楽しみです。そしてもちろん、人々が集まって知識を共有し、物事をよりよくすることはより大好きです。」

「私たちはただの百科事典や、単純に文章を書いているという存在ではありません。私たちは長所も短所もある人間ですが、私たちが望めば、Wikiverseの中のどこででも助けになることができます。多くの場合、私たちは直接には目にすることができない場所で、一生懸命に働いています。しかし、私たちには知識を可視化するメディア、情報を更新して検証可能にし続けることに興味がある人々、巨大なグローバルのコミュニティの要望を実現し守る感覚、私たちのプロジェクトを輝かせるためのエキスパートやデザイナー、そして私たちがプロジェクトを前進させ、新しい発見とモチベーションを維持する活動のためのスペースが必要です。1つ1つの良い貢献が、Wikimediaプロジェクトを前進させ、そしてそれが私たちのコミュニティと世界が感謝することなのです。」

メディア貢献賞: Caner

2024年のメディア貢献賞はUser:Kurmanbekとしても知られるCaner Özyayıkçıに贈られます。彼はトルコの若いWikimedianであり、トルコ語版Wikipediaの編集者、インターフェース管理者としても知られています。彼はWikimedia Community User Group Turkey (WMTR)、Wikimedians of Turkic Languages ​​User GroupCEE Hub Youth Groupなどを含む、多くのウィキメディア利用者グループのメンバーです。それとともに、彼は優れたグラフィックデザイナーであり、彼の個性と想像力はコミュニティのキャンペーンやイベント、世界中の会議の資料を彩っています。それらを通じて、彼はプロジェクトを推進するだけでなく、それぞれのコミュニティの精神や文化が彼のデザインにより翻訳され、文化間の理解と相互交流をもたらすのです。

彼はWiki Women Camp 2023のマスコットであるEeshaに命を吹き込み、Turkic Wikimedia Conference、CEE Meeting 2023と2024、Heritage Guard Network、Wikimedia Japan-Türkiye FriendshipといったWikimedia運動の会議のビジュアルアイデンティティを作成しました。

彼の仕事には、彼の才能と想像力が歴史的な知識と文化面での組み合わさり、相乗効果を生んでいます。Turkic Wikimedia Conferenceでの彼のブランドアイデンティティは、テュルク系民族の最初の文字であるOrkhonと、伝統的なイズミック陶器から着想を得ています。

このデザインワークは、コミュニティのプロジェクトやイベントを彩るだけにとどまりません。Kurmanbekは言います。「グラフィックデザインの要素は、コミュニティが人々や組織とつながるための視覚的な言語なのです。これらの要素が美学を超え、強力な視覚的メッセージを通じてコミュニティの視野や願望を伝えます。また、これらはコミュニティが共有するアイデンティティを表すシンボルとなるので、帰属意識を生むのです。」

Kurmanbekはまた、世界の各地域とを結ぶ懸け橋としても活動しています。彼は日本・トルコ友好プロジェクトの共同発起人の一人です。このプロジェクトは、地理的に離れた場所でありながら知識に対する熱量を共有するWikimedianをつなぐものです。彼はまた、トルコにあるすべてのWiki student clubをまとめるWiki Student Clubs Türkiyeの組織化も行いました。当然ながら、彼はトルコ語版Wikipediaの編集にも寄与しています。彼は時事問題や国、公共交通、復元された歴史的建造物に関する記事をよく作成したり、翻訳したりします。またイスタンブールの写真をWikimedia Commonsにもよくアップロードしています。

多くのWikimedianと同様に、Kurmanbekは郵便切手やハガキ、お札やコイン、旗などの熱心な収集家です。それぞれの収集物は、その文化的意義を解明するための研究材料となります。これら世界への止まらぬ探求心が、旅行や写真への情熱を燃やす原動力となるのです。新たな国に行けば、その土地の人と交流し、その文化とライフスタイルに浸るのです。そしてもちろん、旅はサウンドトラックなしでは完結しません。新しい発見に満ち溢れ、何回も繰り返すプレイリストとなるのです。

彼は言います。「ウィキメディア運動は、自分たちの言語や文化遺産を将来に残す運動として、また自分たちの関心ごとをオープンな知識として一緒にとどめていく運動です。世界中の、同じ興味を持つ人と一緒に活動することは楽しく、モチベーションが上がるのです。」

新人賞: the Wayuu community

昨年、私たちはウィキメディア運動の新しい参加者である、活気あふれる先住民族Wayuu族のコミュニティと、彼らのウィキペディアであるWayuunaikiの発足を祝いました。昨年、インキュベーター・プロジェクトから本格的な百科事典への道のりが終わりました。Wayuunaikiウィキペディアは現在、Wayuuの知識を保存・共有するためのプラットフォームとなっています。この貴重なリソースのおかげで世代をつなぎ、コミュニティが自分たちの物語を語り、持続的なレガシーを築く力を得ていますが、これらの基盤となっているのがWikimedistas Wayuuユーザーグループが提携団体になったことです。このユーザーグループの代表はLeonardi Fernández (user:Leonfd1992)です。彼はこのコミュニティをウィキメディア・プロジェクトに導いた中心人物の一人であり、新たに作成されたWayuunaiki語ウィキペディアの管理者でもあります。

Wayuu族はコロンビア東部の最北端、ベネズエラ北西部に位置するグアヒラ半島に住む先住民族です。言語はWayuunaiki語で、約40万人に話されています。そして最近までウィキペディアに独自の言語版はありませんでした。

ワークショップの参加者は国をまたいで参加する必要があり、コンテンツを簡単に開発できるコンピューター機器やインターネット接続がないことも多く、これを変えるのは容易なことではありませんでした。また、デジタルのスキルを習得し、ウィキペディアそのものへの理解を深める必要もありました。この困難な作業は、Wayuuの人々の協力的なスピリットと、プロジェクト・リーダー達の尽力のたまものです。

スリア大学で社会文化人類学を専攻するLeonardi Fernándezは、先住民コミュニティが自分たちの歴史を自分たちの言葉で共有することの重要性をよく理解しています。このような自己表現能力がなければ、Wayuuのような先住民コミュニティは自分たちの言語ではなく、支配的な言語で知識を得ることになり、自分たちに関する知識が、自分たちとともにではなく、自分たちについて語られるのを見聞きするだけになりかねません。レオナルディにとってウィキメディア・プロジェクトは百科事典的な知識をWayuu自身が母国語で共有できる素晴らしいプラットフォームなのです。彼はWayuunaikiのプロジェクトのたゆまぬ推進者で、自分のコミュニティのためにウィキメディアの講習を行い、この夢のために協力者を見つけ、ウィキペディアのインターフェースの大部分を翻訳することで貢献してきました。2023年2月27日、彼のウィキメディア・ディスカッションページに、Wayuunaikiにおけるウィキペディア創設を知らせるメッセージが掲載されたときが、彼がウィキメディアで最も喜んだ瞬間であったとしても驚くことはありません。Wayuunaikiには現在576の記事があり、これはほんの始まりに過ぎません。

彼は言います。「Wikimedistas Wayuuは、ウィキメディア財団のビジョンである『すべての人間が、あらゆる知識の総和を自由に共有できる世界を思い描いてください』に貢献し同じ方向に向くよう進んでいきます。私たちの場合、自分たちの情報に自分たちの言語でアクセスし、同時にそれを自由に共有することで、どのような状況下でも情報へのアクセスを否定したり、困難にしたりすることがないようにすることを想定しています。」

Functionary of The Year: Vira Motorko

新たに創設された「ファンクショナリー・オブ・ザ・イヤー」カテゴリーではウィキメディア・プロジェクトの安全性、円滑な運営、持続可能性を確保するために舞台裏でたゆまぬ努力を続けてきた縁の下の力持ちを心から称えましょう。ウクライナ語版ウィキペディアの管理者であり、Атаとしても知られるVira Motorko氏にこの賞を授与できることを喜ばしく思います。 Атаは技術メッセージの翻訳、テンプレートの文書化、インターフェースメッセージの改善、書式設定など、気づかれないことが多いけれど、常に必要とされている小さなタスクに常に取り組んでいることで知られています。Атаは他の人が見落としがちなタスクを見つけ、確実に実行し、プロジェクトに貢献しています。

Атаのウィキペディアの旅は、思いがけずイルミナティへの興味から始まりました。彼女はダン・ブラウンの本を読んでいたときネットでさまざまな概念を調べ、英語版ウィキペディアとウクライナ語版ウィキペディアとのあいだで情報情報量に差があることを見つけました。彼女は不足している情報を翻訳し、これがウィキワールドへの第一歩となったのです。

当初から、ウクライナに関する入手可能な情報が不足していたことが、彼女の情熱を駆り立てました。大学入学早々、翻訳されていないロシア語の教科書に悪戦苦闘していた彼女はウィキペディアがデジタル環境で母国語を積極的にサポートする完璧な方法だと気がつきました。ウクライナ語版ウィキペディアに記事を掲載することで、研究者だけでなく一般読者も、次世代の情報へのアクセスを容易にできるようにと彼女は願っています。

ウィキメディアへの貢献がАтаの深い目的意識を解き放っています。「ウィキメディア運動は非常に多くの面で世界に役立っており、この実感が私のモチベーションとなっています」と彼女は語ります。 誤字脱字の修正、インターフェースメッセージの改善、テンプレートの文書化など、Атаはプラットフォームへの貢献と強化の機会を即座に見つけることができます。そして2022年、ロシアによる本格的なウクライナ侵攻が起こったとき、ウィキペディアのプロジェクト編集は安全な避難所となりАтаの心のよりどころとなる身近な活動となったのです。

Атаのお気に入りのウィキメディアの思い出は、地理学の分野で著名なジョン・A・アグニューに関するものです。当時地理の学生だった彼女は、ウクライナ語版ウィキペディアに彼についての記事を書き、伝記に添えられるような写真が欲しいとジョン・アグニューに連絡したのです。その交流のおかげで、ジョン・アグニューの写真がウィキメディア・コモンズにアップロードされました。彼女はこのように言っています。「私はこの出来事を、デジタル時代の本質として考えることがあります。著名な教授が留学生とチャットできるだけでなく、ウィキペディアンが地球の裏側で公開される新しい何かを整えることもできます。素晴らしい!」

ウィキペディアのコンテンツは彼女の楽しみの一つです。それが調理器具のリストであろうと、コモンズで見つけたジョン・ウィリアム・ゴッドワード の絵画であろうと。ウィキにかかわっていないときは本を読んだり、心地よいアニメを見直したり、友人とパブでクイズをしたり、お気に入りのブロガーであるグリーン兄弟をフォローしたりするのが好きです。

彼女は言います。「私たちはできることをします。言語コミュニティによって利用できるリソースの量は異なり、十分でないこともあります。何かを組織化するためには、寄稿者は寄稿者としての動きから、組織としての動きに切り替えなければなりません。しかし、時として両方にとって十分な人員がそろわないときもあります。同じように重要なことについての情報発信は、発信の情報量が不平等であることがあります。時にはそういうこともあります。ただ、私たちはできることをします。私たちは継続していきます。」

奨励賞: Gu Eun-ae

この賞を通じウィキメディア提携団体のスタッフの中で、その役割を超えて活躍する人たちを称えてきました。今年もまた、提携団体の優れた人物を称えます。グ・ウンエさんはユーザー名「Motoko C.K.」として知られている通りWikimedia Koreaの理事であり、創立メンバーでもあります。ウィキメディア・コリアはウィキメディア利用者の多様性を促進し、若い世代の貢献者と協力し、重要なトピックにおける知識のギャップを埋めるために卓越した活動をしてきました。

グさんは2007年、インターネットで情報を探していたとき、たまたま韓国語版ウィキペディアに辿り着いたの です。 ウィキペディアの投稿者なら誰でも知っている直感で、記事のタイプミスを見たとき修正することにしました。そして彼女は初めて「編集ボタン」をクリックしたのです。このボタンが他の人の仕事を改善し、貢献することを可能にするだけでなく、多くの喜びをもたらしてくれることに気づきました。彼女は次第にウィキペディアに関わるようになり、やがてWikimedia Koreaの創設に携わるようになりました。彼女は、この組織がウィキメディアのチャプター(国別協会)として承認された瞬間と、その達成を祝うコミュニティに参加した瞬間を今でも大切にしています。

Wikimedia Koreaは、若い編集者とともに活動し、多様性を支援し、本当に重要なテーマについてウィキメディアのコンテンツを充実させるスター組織です。グさんが最も誇りに思っているプロジェクトのひとつが、韓国語版ウィキペディアのエイズ/HIVに関するコンテンツの改善に焦点を当てたプロジェクトです。このプロジェクトを取り巻く知識のギャップはまだ多く、彼女はこの仕事を通じて、病気、治療法、予防法に関する中立的で検証可能な知識が韓国語版ウィキペディアの読者にもたらされたことをうれしく思っています。

編集者として、彼女は韓国の政治家であり詩人でもあるチョン・チョルの詩が韓国語版ウィキソースに掲載しています。

ウィキメディアで忙しくしていないときは、旅行を楽しみ、ミラーレスカメラやインスタントカメラで写真を撮って旅の記録を残し、友人や家族とビジュアルな思い出をシェアしています。しかし彼女の趣味は外国語を学ぶことで、彼女にとって他の視点や人々との架け橋となっています。

「ウィキメディアのプロジェクトは世界中の誰にでも開かれています。私たちは、自分たちが間違っていることもある、プロジェクトでミスすることもある、と認める必要があります。したがって、私たちは常に他の利用者の意見に耳を傾け、近視眼的な結果ではなく、長期的な共通の目標を考えていかなければなりません。」

技術者賞: Siddharth VP

Siddharth VPはMediaWikiのコア・インフラストラクチャに多大な貢献をしています。彼のスクリプト、ボット、ガジェットに関する仕事でコミュニティから非常に高く評価されており、ガジェットとEchoの拡張機能に関する貢献でも高く評価されています。Siddharthは10年にわたりウィキメディア運動に携わってきました。そして今日、私たちは彼を2024年技術者賞として称えます。 

Siddharth VPのウィキメディアの旅は2014年に始まりましたが、2018年には技術的な分野でより積極的に活動するようになりました。その頃、彼は広く使われているガジェット、Twinkleに取り組み始めました。Twinkleは最近の変更や新しいページをパトロールするのに役立ちます。やがて彼はユーザースクリプトを書き、ボットの開発を始めました。そして、ウィキメディアのプロジェクトで使われているソフトウェアであるMediaWikiもより良いものにできることに気づき、MediaWikiそのものへの貢献を始めたのです。彼は、コミュニティに貢献する機能(主にガジェット拡張機能)に焦点を当てました。彼にとって最大の価値は、MediaWiki自身がすべての可能なユースケースに対応する必要がないように、コミュニティが自分たちに必要な機能を拡張したり構築したりすることを可能にする機能(API、Scribunto、Gadgetsなど)からもたらされます。

数多くの功績の中で彼が最も誇りに思っているのは、新しい利用者が新しい記事を投稿するための主要な方法となったドラフト投稿インターフェースです。毎月6000本以上の原稿が提出されています!

Siddharthは、たとえ小さな技術的貢献であっても、それがもたらす影響に意欲を燃やしています たとえ小さなものでも、何千人ものウィキペディア読者の体験を向上させることができるのです!その過程で学ぶことができるということも、大きなモチベーションになっています。

彼はまた、コミュニティーの側面も高く評価しています。「MediaWikiコミュニティはいつもとても協力的です。お互いに自分の仕事を見直し、熱心に有益な改善点を提案しています。ミスが起きたとき、誰も責任の所在を明らかにすることではなく、発生した問題を解決することだけに集中します。」今年、Siddharthはタリンで開催されたウィキメディア・ハッカソン2024に参加し、何年もオンラインで協力してきた人たちとようやく実際に会うことができました。そしてこの出来事は、彼のお気に入りのウィキのおもいでのひとつとなりました。

技術的な貢献者へのアドバイスは何かという質問に対して、Siddharthは 「ユーザースクリプトを書いたり、ボットでタスクを自動化したり、Toolforgeでツールを開発したり、MediaWiki自体に取り組んだり、あらゆることに手を出してください。そこにはツールボックスがあなたに探索されるのを待っています。全方位的に熟練度を高めることは、問題を解決するための最適な解決策を特定するのにうってつけです」と答えました。

SiddharthがWikimediaにかかわっていないとき、彼は情熱的なチェスプレイヤーとなります。


今年の受賞者の皆さん、おめでとうございます! 本当にありがとう!

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