ウィキマニア2024参加者座談会 (前編)

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ウィキマニア2024は8月にポーランドのカトヴィツェで開催されましたが、日本から参加された6名の方に、ウィキマニアの楽しさや奥深さについてお話を伺いました。内容を2回に分けてお知らせいたします。

A large crowd in Wikimania Katowice, 2024
Group photo of Wikimania Katowice, 2024

ウィキマニア2024参加のきっかけ

Eugene Ormandyさんは、早稲田Wikipedianサークルと稲門ウィキペディアン会を創設され、ウィキマニア2023では日本から初めてのウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー(新人賞)を受賞されました。

Eugene Ormandy:ウィキマニアに参加した理由は、自分のスキルを向上させたかったからです。あとは、自分が関心を抱いている事項について存分に話せるのが楽しいからですね。傲慢な言い方になってしまいますが、自分が関心を抱いている事項について話し合える人が日本にはほとんどいません。例えばウィキデータのビジュアライゼーションをどのように行うか、ウィキメディア・プロジェクトを活用した言語保存にどのツールを使うかということを、日本で、かつ日本語でお話しする機会はあまりありません。
 なお、私はしばしばウィキペディアの編集イベントを開催していますが、そこでは自分の興味のあることではなく、ホスト機関などに求められたものを中心として提供しています。自分が本当に面白いと思ってることや、いちプレーヤーとして学びを深めたいと思うところとは、またちょっと違ったものですね。そのため、自分の関心事をのびのびと話せるウィキマニアはありがたいですね。

門倉百合子さんは、2023年に『70歳のウィキペディアン』を出版されました。

門倉:私は、ウィキマニアが何だかもほとんど知らなかったので、まずは自分で書いた本について、いろんな方に知ってほしいなっていうのが、唯一最大の目的でした。それから、開催地のポーランドに興味があったので。

Narumi.SBTさんはウィキメディアンとしての経験は浅いですが、世界各国を訪れておられます。

Narumi.SBT:私は、1人で気が向いたときに、すごく気楽に編集をしていただけなんです。自分の周りの人を巻き込もうとしたことも何度かあるんですけども、広がっていく感覚があまりなかったんです。最初のアクションはしてくれるんだけど、習慣としては定着しないという感覚があって、私は1人でちょこちょこと、やれるときにやる感じだったんです。
 だからこそ、自分で行う一つの編集作業が世界的な文脈にどう接続するのかということを知りたい、感じたい、仲間がほしいと思ったことがウィキマニアへの参加の一番の動機かと思います。あと、ポーランドには一度行ったことがあるのですが、もう一度行ってみたいと思ったことや、スカラシップがあること、そういういろんな要因があって、現地で参加することになりました。

北村紗衣さんはウィキペディアの編集歴が長く、今回は運営チームのスタッフとしての参加でした。現在はサバティカルでアイルランドのダブリンにおられます。

北村:私はスタッフなのと、あとアイルランドがポーランドに比較的近いのでという、とても単純な理由で参加しました。無償ボランティアのプログラムレビュアーで、プログラム確定のための審査・準備をするのがお仕事です。レビュアーはプログラム審査が終わった時点で完了しているので、ウィキマニアの当日その場にいないといけないということはないのですが、それでも自分がかかわったお仕事の成果なので是非行きたいと思いました。ウィキマニア開催準備のため、こういうボランティアのウィキメディアンがたくさん裏方として働いています。

Takehikoさんは、英語教育関連のお仕事をされています。

Takehiko:ウィキメディア財団の中山さんから、ウィキマニアというイベントがあって、スカラシップもあるからっていうご紹介をいただいたので、いい機会だから、Applicationを記入してみたっていうようなきっかけです。Applicationを書いてるときに、いろいろ質問があって、その中で、自分が今まで考えてたこととかをまとめることができたっていうのは、すごくプロセスとして良かったとは思ってます。Applicationは、記述式の質問が5問ぐらいあって、それを答える過程でいろいろ考えたりしたのが良かったかとは思っています。

門倉:それはとても大きいと思います。私もウィキマニアのことを何も知らなかったし、ウィキメディア財団が何を求めてるかって、あまり今まで考えたことなかったんですけど、あれを書く段階で、ものすごくたくさん考えましたから、それはとても大きな経験だったと思います。

VZP10224さんは長年jawpの管理者を務められ、ウィキマニアにもWikimedians of Japan User Groupを代表し、参加されました。

VZP10224:ウィキマニアは、前から存在は知ってました。実際に行った人の参加報告みたいなものもあちこちでやってたのを聞いてました。今回、ユーザーグループに参加することになって、改めて、団体としてっていうよりも、自分自身がやっぱり行きたかったっていうのがあったので、ユーザーグループで誰か行かない?っていう話になったときに手を挙げさせてもらったっていうのが正直なところです。

実際に参加して楽しかったこと、予想に反したことや思いがけないこと

日本とアルゼンチンから来たウィキメディアンたち (Eugene Ormandy, CC0)

Eugene:日本ではあまり知る機会がない世界を勉強できて良かったです。具体的には、ウィキメディア・プロジェクトを活用した少数言語の保存活動や、GLAMが所有するデータをウィキデータに効率よくエクスポートするための活動、さらにはインターネット環境が十分に整備されていないエリアにおけるウィキメディア・ムーブメントなどですね。もともと英語版のDiffなどでさわりは知っていましたが、実際のユーザーと接すると色々な学びがありました。
 空気感を知ることができたのもよかったです。例えば、ウィキメディア・プロジェクトを活用して、いわゆる絶滅の危機に瀕した言語の保存を行っている人たちって、特に東南アジアや台湾に結構いるんですが、その人たちは言語学をしっかり学んできて、言語そのものを正確に丸ごと記述したいと思っているわけではないんですね。「自分たちの言語が消滅しそうなのは普通にまずいので、専門的な知識はないけど、とりあえずできる範囲のことをやっておこう」という感じなんです。
 恐らく専門家が言語保存に関わる場合って、いかに体系的なコーパスをつくり上げるかとか、いかに言語間の齟齬がないような辞書を作るかとか、そういった厳密性にこだわることが多いかとは思うんですが、ウィキメディアンの場合は「取りあえず知ってる単語だけ、ウィクショナリーにささっと追加しといたわ」みたいな感じなんです。このような気軽さで言語保存ができるんだというのを知れたのは、やはり実際に現地に行ったからこそと思います。

Kizhiya:じゃあ、ウィクショナリーとかにアップしてる人は、その言語の話者の方が多いんですか、やっぱり。

Eugene:基本的にはそうですね。ただし、自分には話せない言語だけれども、辞書を使ってとりあえずアップロードする、という人もいます。私自身はそういった行為はしませんがね。でも、そういった活動も許容できるのがウィキメディア・プロジェクトの面白さだと思います。

北村:シェイクスピア学会とか英文学会とかの国際会議はよく参加していますが、何よりもウィキマニアは白人じゃない人が多くて、しかも全員、同じ知識で話せるところがすごく楽しいですね。あと昔のインターネット文化っていうか、まだ今みたいにフェイクニュースとかがここまでひどくならない時代の理想が残っているのもいいです。フリーカルチャーとかDIY文化みたいな、技術によって世の中がもっと良くなるっていう古き良きインターネット文化がまだが残っていると感じたので、そこがとても魅力があります。人種とか性別とか年齢とかを越えて、同じ言語で人間が通じ合えるという、この理想は実現が難しいものなんですけど、一応その理想だけは残っている感じが大変好きだなと思いました。

Eugene:あと、いわゆる昔のインターネット文化として挙げられるのは、嫌儲思想ですかね。もうけることを良しとしないっていう。それこそオープンソースカルチャーだったり、オープンカルチャーに相当な影響を与えていますけれども。

北村:多分、謙儲思想っていうより、フリーカルチャーっていったほうがいいんじゃないですかね。

VZP10224:謙儲っていっちゃうと、別の意味が入ってしまうので。そうじゃなくて、本来、自分たちが自由に触れるべきであるみたいな、そういう文化が色濃く残ってる。コンピューターの世界だと、リチャード・ストールマンが唱えた、フリーソフトウエアの世界がまだまだ強く残ってるというところなのかというのがありますね。

Eugeneクリエイティブ・コモンズ・ライセンスをきちんと早い段階から、初期はGFDLでしたけど、早い段階から支持しているという点で、やはりそういうフリーカルチャー思想は、ウィキメディア・ムーブメント、プロジェクトにすごく流れてるなと改めて感じました。

VZP10224:少数のユーザーグループなりのコミュニティーで、どうやってムーブメントを広めていくか、みたいな、そういうセッションに参加しました。そこに出てくる話題が、ことごとく、今の日本語版の文化にも当てはまるということをすごく感じました。やっぱりウィキペディアが中心で、それ以外のプロジェクトが目に入らないとか、そういったところを言ってる人たちがいて、それは日本語版でもそうなんだよという話をして、結構、関心が得られたり。ウィキメディア・コモンズにしても、最終的にはそれこそウィキペディアに記事を上げるためのリポジトリかストレージぐらいにしかなってないんだって言ったら、そうだそうだ、みたいな形のことを言ってたりとか、そんなのが共有できたっていうのが。
 意外と、だから日本語版のウィキペディアって、コミュニティーはめっちゃ多いんですけど、ムーブメントっていうところからしたら、まだまだ発展の余地があるんだなっていうのをすごく感じました。

Narumi.SBT:私は初参加なので、緊張していたときにすごくありがたかったのは、全体としてオプティミスティックで、フレンドリーでインクルーシブな雰囲気があるということに、すごく支えられたというか。老若男女、杖をついていらっしゃるおじいさんとか、車いすの方とかもいらしていて、人種的なダイバーシティみたいなものも、もちろん課題はあるでしょうけれども、かなり意識されていたということはすごく感じて、そこに一アジア女性としていることに、何の居心地の悪さを感じなかったっていうのは、すごく良かったと思いました。
 オープンコラボレーションという今年のテーマでしたけれども、コラボレーションなので、もちろんいろんな人と関わって、コミュニケーションをとってっていうことを意識しましたが、他方で1人でいることも許容される雰囲気というか、そういういろんな在り方、参加の仕方を許容するような雰囲気があったのが、すごくありがたいと思いました。
 予想と反したことは、道中にスーツケースがなくなって、お土産を配れなかったことです(帰国後に自宅に届きましたが)。でも他の国の方々がたくさん持参したお菓子などを交換する部屋があって、毎日通って楽しみました。

Takehiko:僕は本当に、ウィキメディア・ムーブメントに入ってからそんなに時間がたってなかったし、今回参加するまでに、あまり他のウィキメディアンの方も知らなかったんですけど、そういった方々にまずお会いしてお話しすることができたのは、良かったかなと思います。
 今、やっぱり終わってから1カ月近く経って思うのは、今までは確かに1人で編集してたんですけど、今はTelegramとかも見ながらやると、Eugeneさんや門倉さん、こんなことをやってるなっていうのが情報として入ってくると、何となく自分としても、知ってる人がこういうことをやってるっていうのが、自分が何かをするときの心の支えではないですけど、いいモチベーションには今、なってるかなって、1カ月経って思ってます。

門倉:私は今、やっぱり帰ってきてからも、Telegramとかいろんなことで、こんなにつながりが続き続けるっていうか、これはあまり予想してなかった。ちょっとぐらいはあることはあっても、ずっとあって。
 それからDiffに、参加した人がレポートを書いていて、それがまた面白いもんだから、インドの若者とかボリビアの女性とかの話をいくつもも翻訳してるんですけど、そういうことも事前にはあまり予想しなかったですよね。これからも、気になる人のは翻訳してみようと思うし。あと、私の記事もトルコ語になってみたりとか、そういうのも全く予想してなかったですけど、そういうことがあるんだっていうのを、とてもうれしく思ってます。

後編に続きます。https://diff.wikimedia.org/ja/?p=143615

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